ハルカのわくわくインド暮らし

インド生活2年目の27歳。日本が恋しい

友人に誘拐されたと勘違いされた話

ブログの更新がだいぶ開いてしまいました!
実は身内に不幸があり、1週間ちょい日本に帰ってバタバタしておりました。

その訃報を受け取ったのが、インドのマハーラーシュトラ州にあるエローラ石窟群を観光していた時のことでした。
それまで私はSNSに旅行の写真をあげていたのですが、訃報を聞いてからはそんな気分にもなれず、エローラ石窟群にある仏像に、ただ故人への冥福を祈っていました。

すぐに日本に帰りたかったのですが、家から遠い地域に旅行にきていたため、移動が大変でした。

まずオーランガバード空港から飛行機でバンガロールに戻り、そこから車で2時間かけて家に帰り、荷物を整理し、それからまた2時間かけてバンガロール空港に行って、日本行きの飛行機に8時間乗る、という今までにないほど慌ただしい日になりました。

そして帰った翌日に納棺でした。

私にとって人生初のお葬式でした。何を書いたら不謹慎なのか判断が難しいので、失礼だったらごめんなさい。
人の遺体を見たことがなかったので、最初目にするのが怖かったです。生きて動いている姿を知っているので、その人がただ目をつぶって横になっている姿を見るのが、恐ろしかったです。
でも顔を見たらとても安らかで、ご遺体を怖いと思わなかった自分にとてもほっとしました。お化粧のおかげかただ眠っているだけのようにも見えました。
告別式が終わり、出棺、火葬を経て、その人は遺骨になりました。
私は今まで身体はただの入れ物だと思っていました。もう亡くなっているから、その人は既にこの世のどこにもいなくて、身体は空なのだと。けれど火葬で、その人だと認識できる姿が無くなってしまうのが、とても喪失感があり苦しくなりました。
納棺から火葬までの2日間。お葬式に対する考えが今までと変わりました。
私はお葬式は、故人をあの世へ暖かく見送るためのものだと思っていました。もちろんその意味もあると思います。でも今は、遺族が心の整理をし、前を向いて生きていくために必要な、残された遺族のための“区切りの儀式“だと思うようになりました。
故人はお葬式について口を出せないので、「こうしたほうが故人が喜ぶ」というのはあくまで想像であって、悪く言ってしまうと自己満足です。でも、故人を想って工夫し、良いお葬式にしようとする時間は、ゆっくりと故人とお別れをする、遺族にとって大切な時間でした。

私の心の整理の付け方ですが、これも自己満ですが、「亡くなった方は先に次の世界に行っただけでいつか必ず会える」と思うことです。だから今はこの世界を楽しく生きて、土産話をたくさん作ることにします!!!

お葬式の話をこんな書く予定は無かったのですが、勢いで書いてしました。
お葬式の後も遺品整理や納骨などで忙しくしており、日本に帰ってはきているけれど友人とも連絡を取りませんでした。

そしておとといインドに戻り、久しぶりにSNSを更新したところ、友人からメッセージがきました。
「最近更新なかったから誘拐されたと思って心配してた!!」
まさか誘拐疑惑が出ていたなんて思いませんでした🥹
思い返すと訃報前にあげたインスタのストーリーは、「現地の人の押し売りがしつこすぎて怖い。」という言葉と共に、大勢のインド人に囲まれて動けなくなっている私の写真。
ちょっと紛らわしい時に更新を止めていましたね😂心配してくれた友人に感謝です。

忙しいのはひと段落ついたので、またゆるくブログ書いていこうと思います。
冒頭で少し触れた旅行についても、書きたいです!

最後までお読みいただき、ありがとうございます。
いつもスター⭐︎もありがとうございます!とても励みになります☺️